瀕死の患者を目の前にして繰り広げられる、
医師たちの壮絶な闘い、
病室という密室で起こる
抜き差しならない駆け引きを通して、
生命の尊厳を力強く描く。

「俺たちがやめた時が、この子の死亡時刻だ。」

ベテラン医師が勤務を終え病院を出た矢先、大声で呼び止める声がする。
「先生! 戻ってください、早く!」
交代したばかりの当直の若い研修医が病室から体を乗り出してそう叫び、すぐに姿が消 えた。 医師はこの後、妻と大事な大事な待ち合わせがあり一瞬、躊躇する。 だが病院に舞い戻り、301号室に駆け込むと、若い研修医が患者の上に馬乗りになり 、人工呼吸の真っ最中。同じく年若い看護婦は慌てて酸素マスクの準備をしている。 患者は既に呼吸も心臓も停止寸前。まだ10代の幼さの残る少女。心筋症の患者だ。 ベテラン医師と若き研修医とその恋人の看護婦。 瀕死の患者を前にして、いつ終わるともわからない、壮絶な、命を懸けた闘いが始まる ――。

一跡二跳が「生きる」をテーマにお届けする2007年第1弾は、1981年に放送され、芸術祭優秀賞を受賞したテレビドラマの完全舞台化。病室という密室で繰り広げられる抜 き差しならない人間模様を通して、生命の尊厳を力強く描く。目が離せない、緊迫の舞 台。

今から26年前、1981年の秋の夜、テレビドラマを見て泣きました。つつー、と涙が頬を伝うなんて生やさしいものじゃなく号泣です。ティッシュを箱ごと抱え、おいおい声をあげて泣きました。それがTBS系列で放送された単発ドラマ、『きりぎりす』です。
  なぜあんなにも号泣したのか、何がそんなにも心を打ったのか、まだまだほんの若僧だった当時の心の有りようは明確には覚えていません。たぶん、「人の命の無常」だったり、「ひたむきな気持ち」だったり、そんなことがぐいぐい胸に迫ってきたのでしょう(それほどに青二才でしたし)。ですが、それ以上に、「凄い! ドラマでこんなにも凄い世界が描けるなんて!! ドラマにこんなにも人を揺さぶる力があるなんて!!」と、ドラマの持つ可能性の大きさに感動したことはよく覚えています。
  それ以来、「物語の力」というものを信じるようになり、自分でもちょくちょく脚本を書くようになり、書くたびに「この物語には力があるか? 『きりぎりす』よりも力があるか?」と、常に創作のバロメーターとして頭の片隅にこびりついたまま、この26年間を過ごしてきた気がします。
  そして、頭の片隅から引っ張り出して「これをやってみよう」、そう思ったのです。26年経った今、自分に書く力を奮い立たせてくれ続けた『きりぎりす』と真っ正面から向き合って舞台化することで、今の自分は何を思うのか。それをどうしても確かめなければいけない。そう思うようになり、「やってみよう」は「やらなくては」という思いに変わり、テレビドラマのシナリオを取り寄せ、26年ぶりに活字で『きりぎりす』との再会を果たしました。
  凄い。やっぱりこの作品は凄い。読み終えてそう思いました。そして「やらなくては」という思いはますます強くなったのですが、同時に「あれはテレビドラマだったから面白かったんじゃないのか? 映像だからこそ作品の良さが生きたのではないか?」、そうした不安も急に頭をもたげてきたのです。そこで、まだ読んだことのなかった原作『少女の死ぬ時』も読んでみようと思い、今度は原作の小説を取り寄せました。読んで驚きました。原作の小説は、登場する二人の外科医の会話だけで書かれていたのです。つまり、地の文がほとんどなく、小説というより舞台脚本、そういう原作だったのです。
  これは絶対にやろう。原作を読み終えたらもう、舞台化することは決意してました。そもそもが舞台向きに書かれた原作なんだから舞台化して面白くならないわけがない。そう思いました。
  もちろんまだ、不安はあります。それは劇場に『きりぎりす』の世界が全貌を現したとき、「私は今度も泣けるのか?」ということです。26年経ってなお、おいおいと泣くことができれば、若僧だった青二才が『きりぎりす』のどんな部分にあんなにも心揺さぶられたのか、今度ははっきりと掴み取ることができるでしょうし、同時にそれは、26年経った今の私が『きりぎりす』の持つ凄い世界をきちんと汲み取れている何よりの証拠に違いないでしょうから。
  劇場で目を真っ赤に泣きはらした中年オッサンを見かけたら、「ああ、古城は勝ったんだな」、そう思ってやってください。

 


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劇団一跡二跳
制作:岸本 匡史