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日本人とは何か (1998. 7) |
「アジアン・エイリアン」 |
- 個人データの流出事件が急増。事故死した青年(実は在日朝鮮人)の素性を探る物語のなかに、日本人であることの必然、日本人の心に巣くう差別意識をもあぶり出していく。
- 舞台床に水がしみ出してきて次第に水かさを増していく。俳優はその水は見えないものとして動くが、やがて水しぶきが上がり、歩行も困難になっていくなかで、その「見えない水」の意味を問う。また、劇場の搬入口を芝居中に開閉する演出(実際に劇場の外の風景が見える)で、データはたちどころに外界とつながるものであることを暗示する。
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家族の再生 (1998. 3) |
「平面になる」 |
- 少年犯罪を犯した加害者の家族が事件後、どのように家族を取り戻していくのか、「父権の失墜」が叫ばれる中、父親に焦点を当てて描く。
- 舞台は30度の急斜面。立っているのも困難なほどの舞台で展開するこの舞台は、物語とは別に「坂を駆けあがるということ」「滑り落ちるということ」といった意味を観客に問う作品でもある。
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ベル友 (1997. 7) |
「楽しい暴力」 |
- 個人情報誌「じゃマ〜ル」が急成長。「ベル友」「インターネット」と、顔の見えないコミュニケーションが拡大する一方の、若い世代の人間関係の虚無と暴力性を描く。
- 舞台の前後に二人の主人公の部屋がくっついた舞台美術で、たやすく時空を飛び越えるコミュニケーションを具現化。
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終末医療・不登校 (1997. 2) |
「少女と老女のポルカ」 |
- 不登校で拒食症の少女と、末期癌で餓死を決意している老女の友情物語。
- 少女も老女も演じるは男優。化粧もせず髪型もそのまま、あざとい仕草や声色もなく、俳優はどこまで性別・年齢を超えられるか(観客はどこまでキャラクターを想像できるか)を探った舞台。
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抗ガン剤の濫用 (1996. 7) |
「リセット」 |
- ある患者が死に至った原因をたどるなかで新薬治験の問題を描く。
- 時間が遡り続け、終盤では冒頭シーンが丸々繰り返されるという戯曲構成。
- 舞台3カ所に「時を遡り続けるデジタル時計」を設置、この時計の表示で場面のつながりを観客が読み解くヒントになっている。
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老人性痴呆症 (1995.11 / 1997.11) |
「声しか見えない」 |
- 介護する側ではなく、老人本人の立場から、惚けていく意識の過程そのものを劇化する試み。
- 舞台上手は卓袱台などが置かれた具象の部屋、下手の部屋には堆く積みあげられたおびただしい数の大小さまざまの白い箱がある。主人公の老人にとって「箱が落ちるということ」「箱を積みあげるということ」などが何を意味するのかを観客自身が探る舞台であもある。
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10代の死生観 (1995. 7) |
「眠れる森の死体」 |
- 未成年者の凶悪犯罪が急増、少年法の改正が論議される中、犯罪にたやすく走る少年たちの「気分」を描く。
- 円形劇場にトラック3台分の本物の草を入れて草匂う原っぱを作り、映像空をふんだんに絡めてオカルトムード濃く描いた作品。
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臨死体験の世界 (1995. 2 / 1996.11) |
「幻想作家の書き殴る夜」 |
- 「観念の舞台化」を目指し、死に向かう心を持った主人公が自分の言葉を獲得することで蘇生していく過程を描く。
- 「文章を書く」行為はすべて「ピアノを弾く」行為に置き換え、セリフそのものを旋律で想像させる試み。実際に俳優全員が舞台上でピアノを生演奏した。
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体外受精 (1994.11 / 1996. 3) |
「愛しすぎる男たち」 |
- めざましく進歩し続ける「不妊治療の今」を、あえて男たちの視点で描く。
- 劇場全体を待合室と見立て、客席が4方を囲む仮設舞台で上演。観客と俳優は同じ劇場出入り口を使用、観客もまたこうした最先端医療に翻弄される当事者であると思わせることを狙った作品。
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葬送の自由 (1994. 2 / 1995. 4 / 1998.11) |
「ONとOFFのセレナーデ」 |
- 「散骨」などがマスコミで取りざたされる中、パソ通で知り合った仲間の死を通して、葬送の自由・死後の決定権は誰にあるのかを描く。
- パソコン通信の世界(オンライン上の世界)をどこまでビジュアル化して見せられるかを探った作品。
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拒食症・過食症 (1993. 4) |
「SとFのワルツ」 |
- ダイエット・ブームの中、過食と拒食に自分を失っていく女性が、なぜ病気にまで至ったのかを、主人公のトラウマを探る物語として描く。
- 戯曲はワルツ形式の構成。登場人物の視点ごとに場面が変わり、観客がそれを繋げることで物語を成立させるという試み。
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離婚激増の時代 (1992. 3 / 1992.11 / 1994.8) |
「夏の夜の貘」 (原作・大島弓子) |
- 家族の崩壊を子供の視点で描く。
- 小学3年生で精神年齢20歳の主人公からは、周囲の人間がすべて精神年齢で見える設定。
- 全面が6度の傾斜を持つ舞台セットで、「すでに傾きつつある家庭」を表現、多場面の変化は俳優の動きと照明だけで見せた。
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OA機器の氾濫 (1991.11) |
「狭くなる部屋」 |
- あるシンクタンクのオフィスを舞台に、氾濫する情報に振り回され、互いに不信を募らせる社員たちを描く。
- 舞台には本物のコピー機、パソコン、ファックス、大型テレビなどの機器を配置、それらを配したまま壁が実際に迫ってきて、舞台空間がどんどん狭くなっていく仕掛けを施した。
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宇宙開発の欺瞞 (1990.11) |
「テラよりの私信」 |
- 日本人初の宇宙飛行士が宇宙へ。宇宙開発の欺瞞を1人2役で描く。
- 冒頭シーンでは壁が倒壊、終盤では照明をつり込んだトラスが落ちてくる大がかりな屋台崩しを敢行。
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トレンドに踊らされる若者 (1990. 7) |
「赤と朱のラプソディ」 |
- 次から次に流行に振り回される若者をトレンディドラマ仕立てで描く。
- 戯曲は主人公とその父、二人の時間軸がパラレルに展開する構成。
- くるくる変わる場面は、天井から降りてくる柱、動く床などで処理された。
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尊厳死 (1990. 3 / 1992. 7 / 1994. 4) |
「イエスマンの最後のイエス」 |
- 植物状態にある主人公が、新薬を投与されるたびに変転する意識の内側を舞台化する試み。
- 意識内の出来事は原色の衣装、現実の世界はリアルな衣装で見せた。
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電話社会の到来 (1989. 8) |
「藍と青のカノン」 |
- 電話で知り合った青年と老女のラブ・ストーリー。
- 男の時間は順行、女は老婆から若返るという逆行でと、時間の流れは逆行カノン形式で構成。
- 舞台から客席に至るまで、天井に「天の川」を連想させる照明を配置。
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バブル経済 (1988.10 / 1991. 3) |
「テキーラ・サンライズ」 |
- 1億円を拾った大貫さんを題材に、バブル経済に踊る人々の姿をコミカルに描く。
- 戯曲はすでに大金を手にしているところから始まり、ひたすら時間を遡っていく逆行の構成で展開。
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コンピュータ・ウィルス (1988. 6 / 1989.10 / 1993.10) |
「赤のソリスト」 |
- 日本にコンピュータ・ウィルスが上陸。ソフト開発会社のオフィスを舞台に、ハッカーと闘うエンジニアたちを描く。
- 登場人物は全員がオンライン化された3次元立体映像として出社しているという設定。ロボット役でパントマイミストが客演。
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報道の欺瞞・信憑性 (1988. 1) |
「白と黒のフーガ」 |
- ある経理部での現金紛失事件の真相を追及するドラマ。
- 全員が1人2役で被疑者と新聞記者を演じ、それぞれの場面が交互に展開するというフーガ形式で戯曲を構成。
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結婚情報産業の隆盛 (1987. 8) |
「パートナー」 |
- 結婚情報産業が急成長、いわゆる「ねるとん」が流行。アメリカで主流となっていたお見合ビデオによる結婚情報産業が日本にも登場。
- パーティーで知り合った男女の恋の駆け引きをギャンブルに絡めて描く。
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ジェンダーレス時代 (1987. 4) |
「にぎやかな開演ベル」 |
- 男性の化粧品が続々と発売される中、オムニバス風に「装う」ことを強いられている人々を、男優が女性役・女優が男性役で描く。
- 舞台全面に鏡を使用、終盤では客席を映し出す演出で、「見る/見られる関係」にも踏み込んだ作品。
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サラリーマン社会の人間模様 (1986.11 / 1989. 2) |
「さよなら最後の応援団」 |
- 急遽、結成された都市対抗野球の応援団員を通し、組織人間の悲哀を描く。
- 場面はすべてスタンドやダグアウトで展開し、試合の様子は観客に想像させることを狙った作品。
- 床に袋状の布を敷き、空気を送り込んで隆起させることで、組織人間の不安定さを表現。
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モラトリアム症候群 (1986. 7) |
「狂い咲くのもよろしかろ」 |
- 定職に就かず「フリーター」を名乗る若者が増える中、いつまでも進路を決定できない若者の見えない明日を描く。
- 登場人物によって時間の進む速度が変わる設定。
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