僕はぐるぐる巻きに縛られている。
もう泣きそうだ。
なんで、僕はお父さんに殴られるの?
なんで、お母さんは僕のことを助けてくれないの?
なんで、僕は生きてるの?
僕はお父さんに、お母さんに殺される…。
僕には逃げる場所がない…。

 


 このところ目まぐるしい速度で毎日が、ほんとにびっくりするくらいびゅんびゅんと過ぎ去っています。気がつけばもう2月、あれれいつのまに3月に? 今日という一日がいつ始まったのかわからない、ただだらだらと昨日の明日が今日になっていく、そんな感じです。年を取ると月日の流れは速くなると言いますが、いやいや、このスピードは尋常じゃありません。
 お元気ですか? しっかりと毎日、まっさらに新しい「今日一日」をお過ごしでしょうか?

 子どもの頃って、どうしてあんなに一日が長かったんでしょうね。
 まだなぁんにも知らなくて、見るもの、聞くもの、出会うもの、すべてが物珍しく好奇心もいっぱいで、それだけ心が動いていたんでしょうけど、どうもそれだけではない気がしてしまいます。
 人生の一番最初の記憶がどんなことだったか、明確に答えられます?
 つらつら記憶を掘り起こしてみると、断片的な一瞬はちらちらするのですが、僕がはっきりとした出来事として覚えてるのは、こんなことです。

 自宅の応接間にでっかい火鉢が置いてあったんです。その火鉢の灰を一生懸命、一つ違いの従兄弟と両手ですくってはソファの上に小山を作ってたんですね。その何が楽しかったのか今じゃさっぱりわかりませんが、夢中になってソファも床も灰まみれにしてたました。けらけら二人して笑ってたと思います。で、そこへ父親が飛び込んできて殴られたんですね、こっぴどく。何かわぁわぁ、大声を浴びせられながらバシバシ殴られたような気がします。
 もう一つ、もしかしたらこっちのほうが幼かったのかもしれないんですが、庭先に白菜を半分に切ったやつが大量に天日に干してあったんですね。それを今度はすぐ近くのドブに片っ端から放り投げてたんです。白菜をつかんではドボォン、ドボォンと、またしてもけらけら笑いながら。で、またまた今度は母親がすっ飛んできて、これまたこっぴどくひっぱたかれるわけです。ひっぱたかれて、ぎゃあぎゃあ泣き叫んだのを覚えています。

   やはり「殴られた記憶」ってやつはインパクトが強いんですね。まぁ、どっちも殴られるだけのことはある単なるクソガキだったんですけども。でも幸いにして僕は、親を疎ましく思うことはあっても憎むことなく大人になれましたから、たぶん幸せ者です。

 5月の新作『殺意の家』では、「幼児虐待」を描いてみようとしています。またまたハードでどっかりくるようなテーマですが、「刷り込まれていく記憶」と「時間のすっ飛んでいく速さ」をキーポイントにして、どこかユーモラスで摩訶不思議な芝居に仕上げたいと思っています。

  場所は去年の3月以来となる「THEATER/TOPS」です。ホームグラウンドで好き勝手にやらせてもらうつもりですので、ぜひお時間つくって見てやってください。
お待ちしています。
2003年3月15日 古城十忍

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劇団一跡二跳

制作:岸本 匡史