20年ぶりに会った友人と昔話に興じていたら、こちらがさっぱり覚えていないエピソードを次々に持ち出されてひどく驚いたことがある。語られるエピソードの主役は私なのに、私にはまるで覚えがない。具体的な状況を事細かに説明されても、まったく記憶に引っかかりがない。友人の頭の中には 私の知らない私が今も生き生きと生きている。恐らく今後も生き続ける。 引っ越しを繰り返したせいか、昔つけていた日記帳の1冊を紛失してしまい、いまだに見つけだせないままである。何度か徹底的に探したのだが無駄骨に終わり、無駄骨を繰り返すごとに、なぜか失くした1冊分の記憶だけがだんだん曖昧になっている。手元に日記が残っている頃の記憶は鮮明に今もある。失った頃の記憶だけが今後ますます、加速度的に薄れていく気がする。 「記憶」というものに興味があって、9年前にこの戯曲を書いた。その2年後に再演し、今回は7年ぶりの上演になる。再演時には戯曲に手を加えなかったが、今度はかなりセリフを直した。久しぶりに向き合った戯曲は、どうも納得しがたい部分が少なくなくて、なぜこんなセリフを以前の私が書いたのか、今の私にはそれがさっぱり思い出せない。書いた頃にはたぶん、言葉を選ぶことに途方もない時間をかけて、あがき苦しんだに違いないのだが。 ひとつ確かなことは、この7年という歳月。それだけ私は歳を取ったし、それだけこの芝居の主人公である「老人」に近づいた。それゆえ、私の興味の対象は「記憶」そのものより、記憶の主体である「老人という人間」に、知らず知らずスライドしたのかもしれない。 すっかり老いてしまった私が、再び久しぶりに友人と会って昔話に興じる機会があったとしたら、私はどんなエピソードを嬉々として話すのだろう。いよいよ臨終が間近いとなったときには、どんな記憶が走馬燈のように脳裏を駆けめぐるのだろう。 老いてしまった私が、友人の語った私の記憶にない私のエピソードを突然思い出す。臨終間近い私が、失った日記の頃の記憶を突然鮮明によみがえらせる。そんなことはあるのだろうか。 今の私は、十分に起こりうるのではないか、と密かに期待している。もし、そういうことが起こりうるのであれば、老いることはとても素敵なことだし、死ぬことだってそんなに怖いものではない。 今の私は、そう考えている。 本日はご来場いただき、ありがとうございます。出会いを心から嬉しく思います。 |
2004年4月 古城十忍
白衣女 | 見えますか?今、左目で見えるほうに1軒の家、右目で見えるはうに3人家族。 | |
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薮内 | あ、これ家族なんですか? | |
白衣女 | 左からお父さん、男の子、お母さんです。見えますね? | |
薮内 | 3人とも身長同じなんですね。 | |
白衣女 | あ、そういうことにこだわります? |
右の絵が動き出す。3人家族はゆっくり家に向かっていくが、入ろうとする手前で激しく乱高下し始めて、薮内は何度も目をしばたく。 と、いつのまにか3人家族はあらぬ場所に移っている。 |
白衣女 | ちゃんと見てました? | |
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薮内 | もう1回やってもらえます? | |
白衣女 | 家に入った瞬間はなかったんですね? | |
薮内 | なかったと思うんですけど……普通はみんな入るんですか? | |
白衣女 | 入りますよ。入らなかったらこの家族、一家でホームレスでしょう? |
背広男 | (カップヌードルに戻りつつ)今、何書いてるんすか? | |
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薮内 | たいしたもんじゃないよ、(カップヌードルに戻りつつ)俺のは雑文、ただの覚え書。 | |
背広男 | そういえば花岡編集局長、聞きました? | |
薮内 | なんだ、ハナクソがどうした? | |
背広男 | そうハナクソさん。あの人隠居の身になって、今度暴露本出すらしいっすよ。 |
背広男 | 俺、取ってきますよ。 | |
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背広男、薮内を制して左の部屋へ。 | ||
薮内 | (ポケットを探っていたが)あ……。(声を張り)あったよ、こっち。ズボンのポケット。 | |
男二人の声 | え?あったんすか? | |
声に驚いて振り向くと、左の皮膜に男の影。その影の輪郭がずるりと極端にズレる……。 皮膜から飛び出たかのように若い背広の男、驚きと不安に包まれる薮内の前に現れて──。 |