声しか見えない
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登場人物
ヤブさん(藪内 育夫)マスク女(三井田安江)
背広男(松木幸太郎)寝巻き男(隣の男)
若背広男(長尾 悟志)男の声(眼科医)
紙袋女(松木佐和子)女の声(隣の女)
前掛け女(掛橋真奈美)囁く声(近所の人々)
ピアス男(松木 幸一)

【1】



廊下、なのか「繋ぎ」の空間の右と左に部屋。
俯瞰すると恐らく、その全体は眼鏡のフレームのようにも見える。
だが今、左右の部屋は皮膜のように覆われた白い幕で遮蔽されていて、その中は窺い知れない。
「繋ぎ」の空間に、背広姿の初老の男が不安げに独り。
突然、男の声が届いてきて−。

男の声藪内育夫さん。
藪内はい。
男の声じゃそこ、顎を乗っけて覗いてください。額もくっつけて。も少し顔、前に来ます? はい、それで結構です。よく見ててくださいね。
藪内………。(ごくりと唾を飲む)

左と右の皮膜それぞれに、スライドの絵が映る。

男の声見えますか? 今、右に、テーブルを挟んで向かい合う2人の人間、左に一軒家。[ On Line Theater ]
藪内あ、これ家なんですか?
男の声そう思ってください。見えてますね?
藪内見えます。
男の声それじゃ、今から2人の人間が動きますから……
藪内(驚いて)動くんですか、この人たち?
男の声スライドをズラすんですよ、私がこうやって。(横に揺すって見せる)
藪内ああ、そういうことですか。
男の声顎を乗っけて、額をくっつけて。顔、も少し前に来ます? はい、結構。それじゃズラしていきますんで、2人がきれいに家の中に納まったところでストップと言ってください。
藪内分かりました。
男の声練習してみましょうか?
藪内何をですか?
男の声ストップと言ってみてください。
藪内ストップ。
男の声はい、結構です。じゃ、いきますよ。

藪内、目を見開く。
スライドの2人の人間、ゆっくり家に向かっていくが、入ろうとする直前で膜一面がふわっと真っ白になり、いつのまにか人間は家の左斜め上に来ている。

藪内ストップ。
男の声今、納まってます?
藪内行き過ぎました。今、屋根の上です。
男の声どちら側の?
藪内家の左斜め上です。
男の声かなり離れてます?
藪内 ええ、落ちないのが不思議なくらい。
男の声通り過ぎたんですか?
藪内いや……気がついたらいつのまにかそうなってて……。
男の声ちゃんと見てました?
藪内もう1回やってもらえます?
男の声家に納まった瞬間はなかったんですか?
藪内なかったと思うんですけど……普通はみんな、納まるんですか?
男の声納まりますよ。納まってこそ、家族の団欒というものでしょう。
藪内あの、家の方を動かしてもらえます?
男の声家は普通、動かないでしょう?
藪内いやでも……
男の声こうすればいいんでしょう?

一瞬にして、右の絵と左の絵が入れ替わる。

藪内なるほど。便利なんですね。
男の声こっちは後でやりますから、もう一度右やってみましょう。

再び入れ替わって、人間と一軒家は元の右・左に戻る。

藪内お願いします。
男の声よぉく見ててくださいね。じゃ、いきます。

藪内、目を見開く。
スライドの人間、再びゆっくりと動き出すが、家の近くあたりに来て、不意に止まる。

藪内……まだ言ってませんけど。
男の声は?
藪内止まりましたよ。
男の声(驚いて)止まってる? 止まっちゃったんですか? どこで?
藪内どこでって……

藪内、さらに大きく目を見開くと、スライドの人間はゆっくりと元に戻り始めて−。

藪内先生、今、戻してます?
男の声(驚いて)え? 今、触ってませんよ。
藪内だって戻ってますよ……!
男の声藪内さん?

ほぼ元の位置に戻ってきたスライドの2人の人間、突然、ぐんぐん大きくなっていく……。
驚きのあまり藪内、思わず声が出て−。

藪内……ぁぁあ!
男の声どうしました?

構わず人間はさらにぐいぐい大きくなっていき、ついに膜の大きさを一気に突き抜けて−。

藪内……ストップ、ストップ、ストーップ!

が、すでに何も映っていない右の膜一面が一瞬、真っ白になったかと思うと、白の皮膜そのものが音をたてて剥れ落ちて−。
そこに2人の人間。
スライドの絵さながらに向かい合う男と女……。
と、男と女は藪内のほうをゆっくりと振り向き始め、すると2人の輪郭は音もなくズレて、男・男、女・女の4人の人間になる……。
藪内を見つめる4つの顔、そろって微笑が浮かんで……。
震える体で目を奪われていた藪内、思わず体ごと顔を引いて両手で右目を押さえる。[ On Line Theater ]
巨大な暗闇が天から降ってきたかのように、暗黒。



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