清家 均 | ||
---|---|---|
清家 一平 | 高峰美重子 | |
清家 哲平 | 高峰 昇 | |
高峰不二子 | ||
倉成志都美 | 奥地 行雄 | |
倉成 静香 | ||
谷岡 靖史 | ||
久住 常久 | 少年たち |
恐ろしく勾配のついた斜面が眼前に広がっている。 上りつめた先が玄関とおぼしきドアのある壁まで続いているのを見ると、どうやら斜面は「床」であるらしい。 床の上には、巨大な塔と見まごうほどの大きな包みがひとつ。 それはラッピングよろしく白い布で全体がすっぽりと覆われ、口は太いロープで縛られ、高さは仰ぎ見るほど。 今、ドアが開いて清家均、続いて久住常久が姿を見せる。 ともに背広姿、清家はブリーフケースを、久住は紙袋を抱えていてー。 |
|
久住 | すごいことになってますねぇ。 |
---|---|
清家 | ………。 |
久住 | マジですか、これ、大丈夫なんすか? |
清家 | ……君は帰りなさい。 |
久住 | いえいえ、そういうわけには…… |
清家、滑り落ちないよう気を配りながら靴を脱ぎ始めてー。 |
|
久住 | 靴、脱ぐんですか? |
---|---|
清家 | ……君は人んちに土足であがるのか。 |
久住 | 上がるっていうよりこれ、下りてますけど。履いてたほうが。滑って落ちません? |
清家 | 帰ればいいだろう、急に熱が出たって言っとくから。 |
久住 | 誰がですか? |
清家 | 君だよ。君は急に高熱が出て、死んだ。 |
久住 | 生きてるじゃないですか、ぴんぴん。(靴を脱ぎつつ)冷たいなぁ。長いつきあいになるんだから仲良くやりましょうよ、あぁ気をつけてお父さん。 |
清家 | ………。(動きが止まる) |
久住 | 下手すりゃ骨折、入院ですよ、用心しないと。あれ、下りないんですか? |
清家 | 誰がお父さんだと? |
久住 | またそんな。他人行儀な。 |
清家 | 帰れ。 |
久住 | ンなこと言われても。この体勢から? (改めて下を見て)帰りますか? |
清家 | 私はいいんだよ、私の家なんだから。 |
久住 | だったらその手、離さなきゃ。 |
清家 | ………。 |
久住 | びびってる。 |
清家 | 何事にも心の準備がある。 |
久住 | 思い切って行きましょう、お父さん。 |
清家 | この際はっきりと言っておくがな、結婚なんて私は認めんからな。絶対に許さない。許可しない。断固としてだ。 |
久住 | 手、離さないんですか? |
清家 | 人の話、聞いてるのか? |
久住 | 状況を考えましょうよ、まず。ちゃんと安全地帯まで下りて、落ち着いて、それから話せばいいでしょう? |
清家 | 話すことなんてない。たった今、終わった。 |
久住 | 頑固ですねぇ。 |
清家、谷底のような斜面の下をじっと見ていたが、顔を上げてー。 |
|
久住 | (視線に気づいて)……何すか? |
---|---|
清家 | 先に行け。 |
久住 | は? |
清家 | 帰らないんだろう? |
久住 | いいですよ。どうぞお父さんから。 |
清家 | お父さんじゃない。 |
久住 | 年長者から。 |
清家 | たいして違わん。 |
久住 | 行けません。人生の先輩を差し置いてそんな不届きな。どうぞお先に。 |
清家 | 私が行けば後に続くのか? |
久住 | そりゃあもう、たとえ火の中、水の中。 |
清家、持っていたブリーフケースを滑り落としてー。 |
|
清家 | 君の番だ。 |
---|---|
久住 | は? |
清家 | 鞄はサラリーマンにとって我が身も同然。 |
久住 | ………。(首をひねる) |
清家 | そんな目で見るな。 |
久住 | ………。(反対に首をひねる) |
清家 | じゃあ君もその袋、落とせばいいだろ? それであいこだろう? |
久住 | ワイン、持ってきたんですよ。 |
清家 | ワイン? |
久住 | ロマネ・コンティ。78年もの。 |
清家 | 78年? |
久住 | 落としてみてもいいんですが、割れませんかね。 |
清家 | 78年って確かプレミアもんだろう? |
久住 | 100万出すって人もいますよ。 |
清家 | そんなに?そんなに? |
久住 | 特別な日に開けようと思ってずっと大事に寝かせといたんです。今日は久しぶりに家族全員が顔をそろえるからって。それで思い切って奮発したんですけど。 |
清家 | それ割っちゃあマズいだろう。 |
久住 | 先下りて、下でキャッチしてください。 |
清家 | 今預かっとこう。 |
久住 | ………。 |
清家 | じゃあ君が抱えたまま行けばいいだろ? そんな目で見るな。 |
久住 | わかりましたよ。 |
清家 | わかればいいんだ。 |
久住 | 落とします。(落とそうと) |
清家 | よせ、わぁああああああぁぁ………。 |
思わず両手を離した清家、一気に下へと滑り落ちる。 清家は尻をしこたま打ったらしくー。 |
|
久住 | 大丈夫ですかぁ?(掲げて見せ)ワインは無事でぇす。 |
---|---|
清家 | ………。 |
久住 | 今いきます。 |
清家 | 帰れ。後生大事にワイン抱えて帰れ。 |
久住、草スキーの要領であっさり下りてきてー。 |
|
久住 | 意外とどうってことありませんでしたね。 |
---|---|
清家 | ………。 |
久住 | しっかし並じゃないですね、どうしてこうなっちゃったんですか? |
清家 | ………。 |
久住 | 建売住宅だったんでしょう? |
清家 | 君はワインは詳しいのか。 |
久住 | いやぁ、酒が好きなだけで。 |
清家 | ワインは寝かせておけば、それだけ熟成していい味になると聞くが、さすがにそういうわけにはいかんようだな。 |
久住 | 何がですか? |
清家 | 家だよ。家はほうっておいてもひどくなるだけ。ひとつガタがくると、あちこちどんどん悪くなる。そういうもんだ。 |
久住 | もともと何が悪かったんですか? |
清家 | 君に話すことじゃない。 |
久住 | 高かったンでしょ? |
清家 | 何が。 |
久住 | この家。買ったときですよ。 |
清家 | 二坪でそのワイン1本ぶんだ。 |
久住 | (一瞬考え)それって高いんですか? |
清家、塔のような包みの上にあがろうとー。 |
|
久住 | 何するんですか? |
---|---|
清家 | 高い所は嫌いか? |
久住 | 嫌いっていうか、何なんすか、これ。 |
清家 | 少しでも上にあがろうという気持ち、君にはないのか。 |
久住 | はぁ……? |
清家 | 向上心のない男に娘はやれん。 |
久住 | 今、その話なんすか?(駆け寄ろうと) |
清家 | もう遅い。 |
久住 | そんなぁ。 |
清家 | ひとつ尋ねていいか。 |
久住 | あ、はい。私もいくつかお聞きしたいことがありまして。 |
清家 | 君の質問は聞かん。 |
久住 | なんで? |
清家 | 聞けばいろいろ詮索したくなる。結婚には断固反対なんだ。だから何も答えない。何も聞くな。 |
久住 | そんな身勝手な。 |
清家 | 尋ねていいか? |
久住 | ……どうぞ。 |
清家 | 雑誌社の仕事、自分から辞めたってことだが。 |
久住 | 一応、依願退職ってことで。でもあれですよ、次の手はちゃんと打ってありますから、路頭に迷うようなことは全然…… |
清家 | そういうことじゃなくて、辞表、自分で書いたのか。 |
久住 | 形だけですけど。 |
清家 | 一身上の都合ってやつか? |
久住 | あんなもん、切々と作文書く人いないでしょう? |
清家 | 雑誌社にいたんなら文章書くの得意だろう。 |
久住 | あらかじめ決まってることですから。ぜんぶ形式だけで。 |
清家 | 読んでみてくれ。(封書を出して渡す) |
久住 | (受け取って驚き)これ? |
清家 | ン……。 |
久住 | 辞めちゃうんですか、会社。 |
清家 | いいから読んで。 |
久住、封筒から出して文書に目を走らせる。 すでに塔(?)の上の清家、だしぬけに声を張ってー。 |
|
清家 | 「私はこれまでー |
---|---|
久住 | (やや驚いて)何ですか? |
清家 | 君は黙って読んで。 |
久住 | はぁ……。(黙読を再開) |
清家 | (再びだしぬけに声を張って)「私はこれまで、日々全速力で駆け抜けて参りました。来る日も来る日もただただ仕事に明け暮れ、それが自分のため、ひい |
久住 | はい? |
清家 | 出だしだよ。どうだね、こういう退職願は。 |
久住 | ……珍しいと思いますが。 |
清家 | 続き、読んで。 |
久住 | ………。(黙読再開) |
清家 | (再びだしぬけに)「しかしそれは単なる思い過ごしでありました。実のところ私は、ただただ時をやり過ごし、仕事にも家族にも正しく向き合うことなく、日常にあぐらをかいていただけなのです。」 |
久住 | あぐらですか。 |
清家 | 比喩だよ。 |
久住 | これ、小説なんですか? |
清家 | 退職願だよ。 |
久住 | (首をひねり苦笑しつつ)それで日常にあぐらをかくだなんて…… |
清家 | かまわず黙って読んで。 |
久住 | あ、はい。(黙読再開) |
清家 | 「私は卑怯者です。インチキです。」 |
久住 | これも比喩ですか? |
清家 | 謙遜してるんだよ。 |
久住 | ああ、なるほど。 |
清家 | 「そのうえ独りよがりで、見栄っ張りで、底意地がいやらしい。」 |
久住 | かえって嫌みじゃないですか。 |
清家 | 「これ以上、私は日常にあぐらをかくわけにはいきません。我が心から敬愛する会社にもこれ以上のご迷惑は甚だ心苦しく、よってここに退職を願い出る次第です。初芝商事株式会社 第二営業部部長代理 清家均」。読んでるか? |
久住 | だってもぅ全部言っちゃったじゃないですか、自分で。 |
清家 | 一度、言ってみたかった。 |
久住 | はぁっ? |
清家 | ……これは宣言だ。 |
久住 | 宣言? |
清家 | 誓いの言葉といってもいい。誰かに誓えば決心がぐらつかずにすむだろう。 |
久住 | 本気なんですか? |
清家 | 辞める。 |
久住 | 初芝っていったらめちゃくちゃ一流商社ですよ。 |
清家 | 一流じゃない、超一流だ。 |
久住 | もったいない。入ろうと思ったってそうそう入れないでしょう? |
清家 | まぁ君は無理だろう。 |
久住 | ………。 |
清家 | 気にするな。 |
久住 | 気にしてませんよ。 |
清家 | 私だって相当無理したんだ。 |
久住 | そうですかぁ? |
清家 | 並大抵のことじゃなかったんだよ、ここまで来るのは。 |
久住 | そういえば東大、出てんですよね。 |
清家 | 入るまでも大変、入ってからも無理の連続だ。 |
清家、不意に塔?から下りると、急斜面に向かってダッシュ。だがすぐにずるずると滑り落ちて、再びダッシュ。 |
|
久住 | 何ですか、今度は? |
---|---|
清家 | こういうの見ると、無性に登りたくなる性格でな。 |
久住 | はぁ。 |
清家 | それでここまで来た。(さらにダッシュ) |
久住 | ………。 |
清家 | だが、それももうおしまいだ。(さらににダッシュ) |
久住 | ………。 |