清家、滑り落ちては何度もダッシュを繰り返す。 見ていた久住、なぜかやがて、同じようにダッシュを開始……。 するとどこからともなく作業服姿の少年たちが次々に現れ、ダッシュに加わって、全速力で急斜面を駆け上がっていく。 だが誰もが、たちどころに滑り、転び、落ちていってしまう。 それでも少しでも上の位置を目指し、1分でも1秒でも長くその場所にとどまろうと、何度でも駆け上がって試みる。 何とか駆け上がり静止できた者は、その場であぐらをかいて位置をキープしようとするが、それも難しく、瞬く間に転がり落ちていく。 いつ果てるともしれない、終わりなき繰り返し。 だが不意に、ベルの音が鳴り響いてー。 少年たちが機敏に去って行くなか、一人の少年が、先を行く一人だけ学生服姿の「少年A」を呼び止めてー。 |
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少年B | おい、お前。 |
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少年A | ………。(振り返って姿勢を正し)はい。 |
少年B | なんでここに来た? |
少年A | ………。 |
少年B | 東大受かったってほんとか? |
少年A | 受かったよ。 |
少年B | ……へぇ。 |
少年A | それが何か。 |
少年B | でももうおしまいだ。 |
少年A | ………。 |
少年B | こんなとこに来ちゃったんだからよ。 |
少年A | ………。 |
少年B、薄笑みを浮かべつつ去っていき、やがて少年Aもいなくなる。 清家と久住、それぞれにへたりこんでいたがー。 |
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久住 | しんどいっすね。 |
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清家 | あ? |
久住 | こんなしんどい思いしてまで、上に行かなきゃいけないんすか? |
清家 | ………。 |
久住 | 私はとてもとても。自分からリタイヤ宣言しますよ。 |
清家 | この辞表、受理されると思うか。 |
久住 | 喜んで首切るんじゃないですか。 |
清家 | ………。 |
久住 | (弁解めいて)自分がそうだったから。あっけないもんですよ、辞表出したら、ハイお疲れさん。誰も引き留めなかったし。 |
清家 | だろうな。 |
久住 | 景気が悪いんですよ。不況、長引いてるでしょう? 超一流でもすごいんじゃないすか、リストラ。 |
清家 | この半期で同期が20人辞めていった。 |
久住 | 厳しいっすねぇ。 |
清家 | 部下も3人、お払い箱だ。 |
久住 | でもやっぱ、一身上の都合ですね、辞表は。 |
清家 | どうして? |
久住 | だって書きます普通、あぐらがどうのこうの。 |
清家 | 君はこれ、書き直せと? |
久住 | 書き直すんじゃなくて、マニュアル通りってことで。 |
清家 | 何言ってるんだ、それじゃ通らないから苦労してるんじゃないか。 |
久住 | え? 前にも出したことあるんですか? |
清家 | この1週間で7通。 |
久住 | 7通? |
清家 | 見るか? 毎日持ち歩いてる。 |
久住 | ンなことしてるから仕事に身が入らないんですよ。 |
清家 | 馬鹿なこと言うな。書いてるのはちゃんと時間外だ。 |
久住 | え? てことはあれですか、会社はもしかして、辞めさせたくないってことですか? |
清家 | 当然だろう、私ほど仕事熱心な人間はそうそういない。 |
久住 | なんで辞めるんですか? |
清家 | ………。 |
久住 | 離婚ですか? |
清家 | 離婚? |
久住 | 別れちゃったんでしょう、いろいろあって。おっきい会社ほど離婚は出世に響くっていうじゃないですか。 |
清家 | 離婚は関係ない。 |
久住 | じゃ、何すか? 超一流企業で、それだけ必要とされてて、辞める理由ないでしょう? |
清家 | ……あれだな。 |
久住 | はい? |
清家 | ……いざ辞めるとなるとこう、胸騒ぎがするというか、勇気いるだろう? |
久住 | 全然。 |
清家 | ちっとも? |
久住 | 人生、仕事がすべてじゃないですから。 |
清家 | 君はそういうつまらん男か。 |
久住 | 何がです? |
清家 | 男が仕事に命かけなくてどうする? 誰が日本を支えてると思ってるんだ。政治家でもない。官僚でもない。サラリーマンだぞ。 |
久住 | 誰も働かないっていってんじゃないですよ。 |
清家 | 誰も働かないっていってんじゃないですよ。 |
久住 | これで決定だな。 |
清家 | 決定? |
久住 | 金輪際、結婚は認めん。 |
清家 | またそこいっちゃうんすか? |
不意にフラッシュが瞬く。 清家・久住、驚いて振り返ると、いつの間にやら奥のドアで清家一平、上半身を乗り出しカメラを構えていてー。 |
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一平 | へへ、俺でした。 |
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清家 | 一平……。 |
一平 | びっくりした? |
清家 | (相当驚いていて)当たり前だろ。 |
一平 | まだまだ甘いね、リハビリ。 |
清家 | 何がリハビリだ、脅かすな。 |
久住 | (清家に)もしかして上の息子さん? |
清家 | ああ。 |
一平 | (久住に)もしかして静香がつきあってる人? |
久住 | 初めまして、お兄さん。 |
清家 | 見境ないな、君は。 |
一平 | (清家に)結婚、決まったんだ。 |
久住 | はい。(一平に駆け寄ろうと) |
清家 | 決まってない。 |
一平 | じゃなんで来てんの? |
清家 | 静香が勝手に呼んだんだ。 |
久住 | 呼ばれたんです。 |
一平 | じゃ決めたんだよ。 |
久住 | (駆け寄ろうとしつつ)はい。 |
清家 | 決めてな、何やってんだね、君! |
久住 | お兄さんと握手を……。 |
一平 | いいですよ、そんな。 |
久住 | とりあえず気持ちだけ。いいですか? |
久住と一平、うんと離れたところで気持ちだけの握手を交わしてー。 |
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一平 | よろしく。 |
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久住 | いやぁ感激だなぁ。 |
清家 | (一平に)おい、どこ行くんだ? |
久住 | 荷物。玄関で今、撮影してたんだ。(といったん外へ) |
清家 | 玄関で? |
久住 | 手伝いますよ、一平兄さん。 |
一平 | 平気平気。 |
一平、いったん外へ出ていく。 |
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久住 | いやぁ私、一人っ子で、おまけに独身長くて、兄弟、中でもお兄さん、すっごく欲しかったんですよ。家族っていいすね。 |
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清家 | 君は他人だ。 |
久住 | またそんな。時間の問題じゃないすか。あれ? |
清家 | 何だね。 |
久住 | 一平兄さん、清家一平ですよね。 |
清家 | 当たり前だろ。 |
久住 | でも静香さんの名前、倉成じゃないですか、お母さんのほうの戸籍に入っちゃってるから。 |
清家 | ………。 |
久住 | こういう場合、私と一平兄さん、兄弟になるんですかね。 |
清家 | ならない。 |
久住 | ならないんですか? |
清家 | なぜなら静香は結婚しない。君とは一生、他人だ。 |
久住 | またそんな。同世代の息子ができて嬉しいくせに。 |
一平、白布で包まれた大きな荷物のようなものを持って戻ってきてー。 |
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一平 | 改めて見ると、この家とんでもないね。 |
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清家 | お前は久々だからな、そう見える。 |
久住 | いやでも実際、相当なもんですよ。(一平に)荷物、私受けますけど、それ、割れ物ですか? |
一平 | 大丈夫。慣れてるから。 |
清家 | 母さんとこには寄ったのか? |
一平 | 直接、成田から来た。 |
清家 | そうか。 |
久住 | そうだ、ニューヨーク。芸術の勉強に行ってたんですよね。どれくらい? |
一平 | 半年。 |
久住 | かっこいいなぁ。 |
一平 | (荷物のようなものに乗って一気に斜面を滑り降りつつ)そぉお? |
久住 | またその下り方が。ほんとはちょっぴり、気難しい人だったらどうしようって心配してたんですけど、よかったですよ、一平兄さんがお兄さんで。 |
清家 | 君、少しは遠慮ってものがないのかね。こっちだって久々に親子の対面やってるんだよ。 |
一平 | 聞いちゃいけないのかもしんないけど、何歳? |
久住 | 一平兄さんは確か…… |
一平 | 25。 |
久住 | 私、46です。お父さんと3つ違い。 |
清家 | お父さんじゃない。 |
一平 | 20も上の人に兄さんっていわれてもなぁ。 |
久住 | 駄目ですか? |
一平 | ンー、ま、いっか。 |
久住 | 聞きましたかお父さん、一平兄さん、結婚許してくれましたよ。 |
清家 | ………。(真顔である) |
久住 | (一平に)もう一人の、そうだ哲平君。弟さん、今年20歳でしたっけ。 |
一平 | そう、かな。 |
久住 | となると私が真ん中になるわけだから、上から25・46・20。あれ? なんか順番違う気もするけど、ンー、ま、いっか。 |
インターホンが鳴る。 清家と一平、やや緊張した面もちでドアを見る。 |
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清家 一平 | ………。 |
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久住 | 私、出ましょうか? |
清家 | 動くな。 |
久住 | え? |
清家 | いい、出なくて。 |
一平 | ……母さんたちかな? |
清家 | 鳴らさないだろ、自分の家だぞ。 |
インターホン、鳴る。 |
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清家 一平 | ………。 |
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久住 | (声を潜め)なんで出ないんですか? |
不意に一平、急斜面を駆け上がってインターホンへ。 |
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清家 | 一平。 |
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一平 | このままじゃ昔と変わんないだろ。平気だよ。(インターホンにでて)はい。……はい、清家ですが。……ええ、そうです。………はい。(切る) |
清家 | 何だって? |
一平 | 隣の人。 |
清家 | 隣? おい、開けるのか? |
答えるまもなく一平、ドアを開ける。 高峰美重子、待ちかまえていたように姿を見せてー。 |
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美重子 | どうもすみません。………。 |
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美重子、ちらちらっと室内を観察していてー。 |
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一平 | 何ですか? |
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美重子 | あぁあの、ただちょっとご挨拶をってそう思っただけなんですけど。今、撮影か何かでいらっしゃってるんですか? |
清家 | いえ、この家の者ですが。 |
一平 | 写真は趣味で撮ってるんです。 |
美重子 | ああ、そうですか、どうもすみません。隣の高峰です。あの高峰の妻の美重子です。 |
清家 | あの、隣って(指でさして)こっち側の? |
美重子 | いえ、(指でさして)こっちの。 |
清家 | そっちは安藤さんじゃ…… |
美重子 | いえ、高峰です。半年ほど前に引っ越してきたんですよ、鳥取から。 |
清家 | じゃ安藤さん、もういないんですか? |
美重子 | さぁ、どなたが住んでらしたかは知らないんですけど、格安で売りに出てたんでローンで買いまして。まだ20代なんですけど。 |
清家 | 20代? |
美重子 | いやだからあの、あたしたち夫婦が。 |
清家 | ああ、そうですか……。 |
美重子 | でも驚きました。ずっと空き家になってたでしょう、ここ。あちこち売りに出てる中、ここだけ表札出てましたから気になってたんですよ。でもずっといらっしゃらないから、ご家族で世界一周でもしてるのかしらねなんて主人と話したりして。 |
久住 | ニューヨークには行ってたんですけどね。 |
美重子 | まぁ、ニューヨークに? |
久住 | 私じゃなくて、そっちの私のお兄さんなんですけど。 |
美重子 | お兄さん……? |
清家 | 冗談です。 |
久住 | そりゃないですよ、お父さん。 |
美重子 | お父さん? |
清家 | それは私の息子で、こっちは私の会社の部下でして。あの、私が清家です。 |
美重子 | あぁ、そちらがご主人様。 |
清家 | どうも。こちらからご挨拶に伺うべきでした。 |
美重子 | いえ、いいんですよ、いらっしゃるってことがわかりさえすれば。まさか皆さんクローン人間だったりしたら困っちゃいますけどねぇ。(笑う) |
清家 | ………。 |
美重子 | どうもお邪魔しました。 |
清家 | 失礼します。 |
美重子 | (ドア口で振り返り)あぁあの。 |
清家 | はい。 |
美重子 | 主人にもちゃんと話しておきますんで。 |
清家 | どうぞ、よろしくお伝えください。 |
美重子、ドアを閉めて出ていく。 |
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久住 | ……最後のクローン人間って、思いっきり余計でしたね。 |
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清家 | 余計なのは君だろ。 |
久住 | だからって会社の部下ってのはあんまりですよ。 |
清家 | 嘘でも初芝の社員になったんだ。ありがたく思え。 |
久住 | それじゃ私、かわいそすぎません? |
一平 | 安藤さん、いなくなったんならよかったじゃない、うるさくなくて。 |
清家 | お前も余計なことするんじゃない。 |
一平 | 2、3枚、撮っただけだよ。 |
清家 | わざわざ人目を引くことしなくていいだろ。 |
久住 | 何撮ってたんです? |
一平 | (持ってきた包みをさして)それ。玄関で撮らなきゃ意味なかったから。記録してたんだ。 |
清家 | 写真に撮るほどの価値はない。どうせ独りよがりの代物だ。 |
久住 | あぁ、芸術だ。中に入ってんですね、一平兄さんの芸術が。 |
一平 | 残念、中に入ってるのはスーツケース。 |
久住 | スーツケース? |
一平 | 旅の荷物そのまんま、布でくるんでみたんだけどね、くるんだこの丸ごとが完成品。 |
久住 | はぁ……。 |
清家 | 一平、母さんたち待っててもしょうがないから、これ、開けるぞ。 |
一平 | (清家に)ちゃんとタイトル、あるんだよ。 |
久住 | なんていうんですか? |
一平 | 「かくも長き不在」。どう? |
久住 | ……そういうの、ニューヨークで勉強してきたんですか。 |
清家 | そういうのは勉強とはいわない。道楽っていうんだ。 |
一平 | ………。(一平、塔のような包みを被写体にシャッターを切る。 |
清家 | (厳しく)写真はいい。 |
久住 | 何もそんな目くじら立てなくったって。 |
一平 | (久住に)そっちのもタイトルついてるんだ。 |
久住 | あ、これも? そうか、これとそれ、似てますもんね。なんていうんですか? |
一平 | 「日常」っていうんだ。 |
清家 | 日常……? |
一平 | だから父さんは今、日常にあぐらをかいてるってわけ。 |
清家 | ………。 |
久住 | ……親子ですねぇ。 |
一平 | 親子? |
清家 | 適当なこといってるだけだ。くだらん。 |
一平 | 全然変わんないね。わからないものはくだらん、自分のわかるものだけが素晴らしい。 |
清家 | そんなもん、誰がわかる? 何の役にも立たない。社会にまるで貢献しない。(久住に)君、わかるかね? |
久住 | 一度だけ「高原の森美術館」に行ったことあります。 |
清家 | 君、何の話してるんだ? |
久住 | 「大恐竜展」も見ました。 |
一平 | (久住に)ね。こういうの、どう? |
久住 | はい? |
一平 | この二つ、まとめて一つの作品にしちゃうんだ。題して、「日常のかくも長き不在」。 |
清家 | 開けるからな。(ロープをほどき始める) |
一平 | そして父は日常をひもとく。 |