声しか見えない
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【4】


右の部屋に藪内が独り。
パソコンに向かってフロッピーを入れようとするが、なかなか叶わず、次第に苛立ちが高じてくる……。
耳にピアスをした少年のような男が、両手に牛乳の入ったコップを持って現れて−。

ピアス男何やってんだよ?
藪内入らないんだよ、これがな、ここに入るはずなんだけどな。
ピアス男持って。(コップを一つ突き出す)
藪内あ……。
ピアス男飲めば?
藪内ああ。(受け取る)
ピアス男(フロッピーを取り、そのラベルを読んで)「KING」。何これ? これタイトルなわけ?
藪内王様、という意味だぞ。
ピアス男知ってるよ、それくらい。
藪内「私はこの国の王である」。
ピアス男こぼれるよ。
藪内ああ。(両手で持ち)「私はこの国の王である。そして、私はこの国の僕である」。いい言葉だろう?
ピアス男なんだ、それ? そんな訳分かんないの書いてんの?
藪内これは奥が深いんだぞ。前読んだ本に書いてあったんだけどな、この、国というのが曲者で……(はっとして)あ……!
ピアス男何?
藪内何でもない。(と、牛乳をごくごく飲む)
ピアス男なんだ、喉乾いてたんじゃないかよ。
藪内(飲むのをやめ)マズいな。[ On Line Theater ]
ピアス男(コップを奪って)じゃ飲むなよ。(フロッピーを差し込みつつ)いい? これは、ここに、こっち向きに入れんの。分かった?
藪内知ってるよ、それくらい。
ピアス男(ムッと)じゃ聞くなよ。

ピアス男、あきれて藪内から離れると、牛乳を飲みつつバッグからCDウォークマンを取り出し始める。
藪内、パソコンに向かうが、ピアス男の様子が気になって仕方がない。時に憐れみの目で見たりしてしていると−。

ピアス男あ、そうだ。あとでオフクロが来るようなこと言ってたから。
藪内オフクロ?
ピアス男なんか持ってくものがあるって言ってた。
藪内………?

コンビニの袋を提げた若背広男がやってきて−。

若背広男申し訳ない、申し訳ない。
ピアス男遅いよ。
若背広男いやぁ、いてくれて助かったよ。ヤブさん、遅くなってすみません。
ピアス男もう帰っていい?
若背広男OKOK、あとは大丈夫。
ピアス男さっき電話あったよ、彼女から。
若背広男彼女?
ピアス男掛橋さん。デキてんでしょ?
若背広男(小突いて)バカ、何言ってンだ。(藪内に)ヤブさん、なんか変わったことなかったすか?
ピアス男じゃ帰るよ。
若背広男おぅ、悪かった。(小声で)遅れたこと、オフクロさんには内緒な。

ピアス男が帰っていき、若背広男は弁当を出しながら−。

若背広男ビール買おうかなぁってさんざん迷ってたんすけど、やめちゃいました。ヤブさん、お茶でいいっすよね?
藪内それがたった今、良平に牛乳を飲まされてな。
若背広男良平……?(と、ピアス男の去ったほうを見る)
藪内今出てった、ほら、向かいの三井田ンとこの。
若背広男あっああ……あの。ほんとに良平君でしたぁ?
藪内そうだよ。さっきつい口を滑らせそうになってな、肝臓のこと。
若背広男何すか、肝臓のことって。
藪内前話したろ? 肝臓移植しなきゃ助からないって。
若背広男あ、そうだ、聞きました聞きました。で何か言ったんすか?
藪内言えないよ、不憫で。不憫だろ? だから牛乳飲んでごまかしたよ。
若背広男そうっすか……あれ?(ポケットを探り)あれ……?
藪内どうした?
若背広男忘れてきちゃいました、財布。
藪内どこに?
若背広男ちょっといいすか、すぐ戻ってきますんで。
藪内しょうがないなぁ。

若背広男、急いで部屋を後にする。
残った藪内、なんとなく辺りを見回してパソコンが目に止まる。
だがそれも束の間、不意に腰を上げて部屋を出ていこうとすると、どこからか女の声が聞こえてきて−。

女の声どこ行くんですか?
藪内あ……。(動きが止まる)
女の声遅くなっちゃったけど夕飯、すぐ作りますから。
藪内ちょっとションベン。
女の声ビールでも飲んでてくださいよ。
藪内余計マズいだろ?
女の声ほんとにすぐですから。
藪内張ってンだよ、腹。パンパンになってっから。
女の声食べたくないんですか?
藪内いや食うよ。食うけどその前にすっきりションベン……
女の声(声に異変)お父さん?
藪内お父さん?
女の声ヤだ、そんなとこで寝ないで。
藪内なんだオヤジに言ってたのか?
女の声お父さん……?
藪内(不安)どうした……?
女の声お父さん……!
藪内(不安)おい。
女の声お父……!

突然、世界を劈くほどの悲鳴。
それは男性の悲鳴である。
思わずその手で耳を塞いだ藪内、目をぱちくりぱちくりと動かしながら辺りをゆっくりと見回す……。
忍び寄るように静寂……。
藪内がおののくように手を外すと、囁くような声……。
目には遠く、葬送の列が見えてくる……。
喪に服した女のすすり泣き、虚ろな目の遺族が果てもなく続くかのように見える葬送の列……。
囁くようなその声、次第にはっきりと耳に届いてきて−。
[ On Line Theater ]

囁き声「……さんちのおじいちゃん、亡くなったんだってね」
「聞いたわよ。回覧はまだ回ってきてないけど」
「こういう言い方しちゃナンだけど奥さん、やっと肩の荷、降ろせるわよ」
「よくやってたと思うわよ、私」
「よくやってたわよ。ご主人、仕事仕事で家のことほったらかしだし、一人で切り回してたようなもんでしょう?」
「死んだ人、悪く言う気はないけど誰だってホッとするわよ」
「そうよ、おじいちゃん亡くなったって聞いて、私もホッとしたもの」
「なんで他人のあんたがホッとすんのよ?」
「だって相当ボケちゃってたらしいじゃない」
「そうそう。かなりボケが進んでたみたいよ。夜な夜な徘徊してたって」
「おじいちゃんだって正気だったら、きっと早く死にたいって、そう願ってたんじゃないの?」
「ほんとよ。早く死んであげなきゃ、周りがかわいそすぎたもの」
「死んでホッとできたわよ」
「そういうもんよね」
「ホッとするわよ」
「ちょっと。奥さん、出てきたわよ」
「このたびはとんだご愁傷さまで……」

声たち、遠のいていく……。
葬送の列も、もう藪内の視界にない……。
へたりこんで囁く声に耳を奪われていた藪内、まだ何か気配を感じ取ろうと辺りを窺っていたが、恐る恐る伸びあがって視力検査のような動作で室内を見回す……。
それから不意に腰をあげて部屋を出て行こうとすると、若背広男がコンビニ袋を手に戻ってきて−。

若背広男どこ行くんすか?
藪内あ……?
若背広男思いきって奮発しちゃいました、ビール。(見せる)
藪内ビール……?
若背広男いいじゃないっすか、たまには息ぬきってことで。
藪内松木。
若背広男はい。
藪内ビールってなんかマズいんじゃなかったか?
若背広男マズくないっすよ、これ。すこぶる冷えてますから。
藪内俺今、どっか行こうとしてなかったか?
若背広男そういえば……そんな素振りしてましたね。(弁当を食べ始める)
藪内それどこだ?
若背広男(食べつつ)ンなの俺に聞かれたって知りませんよ。
藪内ビールがマズいことになんか関係あったんだよ。
若背広男(食べつつ)何すか、それ。
藪内(はっと)あ……! そうか……!
若背広男(食べつつ)思い出しました?
藪内松木。
若背広男はい。
藪内飯食ってる場合じゃないぞ。
若背広男すいません。(置く)
藪内こないだ耄碌じいさんがぽっくり死んだろ?
若背広男耄碌じいさん?
藪内葬式あったじゃないか。だから向かいの。
若背広男ああ、三井田の耄碌じいさん。
藪内そうだ、三井田だよ。三井田って言うんだぞ。
若背広男分かりましたよ。その耄碌じいさんがどうかしたんすか?
藪内あれ、他殺だ。
若背広男マジっすか?
藪内犯人は嫁だよ、嫁の安江。
若背広男奥さんが?
藪内思い出したんだよ、安江さんが怪しげな声でお父さん、お父さんって連発しててな、その後に悲鳴が聞こえたんだよ、男の。
若背広男耄碌じいさんの断末魔の声、聞いたんすか?
藪内聞いたんだよ、俺が。声を。安江さんの。あれは殺意に満ちた声だった。
若背広男ヤブさんがそう言うんなら間違いないっすね。
藪内じゃ松木、書け。
若背広男書けって何をすか?
藪内スクープだろ。新聞記者が記事書かなくてどうすんだよ?
若背広男俺が書くんすか?
藪内いい加減に一人前になってくれなきゃあ。ブンヤは夜討ち朝駆け、ンでもって書いてなんぼ……
若背広男スクープとってなんぼの商売。
藪内覚えてんじゃないか。
若背広男ヤブさんのそれ、もう耳にタコっすから。
藪内だったら早く書け。
若背広男でも裏、取らなくていいんすか?
藪内取りあえず第一報を書くんだよ。他社に抜かれたらどうすんだ?
若背広男どこも抜かないんじゃないすか?
藪内バカ、殺しだぞ。ブンヤにとっちゃ最高のメシのタネだぞ。それを書かないとあっちゃ……
若背広男分かりました書きます書きますから、その前にちょいっと祝杯だけあげません?
藪内祝杯?
若背広男ビール、せっかく奮発したんすから。(見せる)
藪内………。(じっとビールを見る)
若背広男(引っ込めつつ)やっぱマズいっすね。
藪内松木。
若背広男はい。
藪内1本よこせ。
若背広男(渡しつつ)いきますか、いきますか。
藪内このスクープは社長賞だぞ、金一封だぞ。(開ける)
若背広男え? 金もらえるんすか? いくら?(飲む)
藪内千円はかたい。
若背広男(ブッ!とビールを吹き出す)
藪内(かかって)わ。
若背広男たったそんだけなんすかぁ?
藪内吹くなよ、ビールを。
若背広男ああ、すいません。(手際よくタオルを持ち出して拭く)
藪内千円っつたら大金だぞ。お前、欲しくないのか?
若背広男ヤブさん……?
藪内ま、記者としては金より名誉のほうが自慢だけどな。
若背広男ヤブさん、股ンとこ異様に濡れてません?
藪内……あ。
若背広男何すか?
藪内ションベン……!
若背広男漏らしたんすかぁ?
藪内バ、バカなこと言うな、こぼしたんだよビールを。
若背広男こぼしたっていつ?
藪内今だよ、ほんの今、こうやってダーッと……(言いつつ自分の股間にダーッとビールをかける)
若背広男ななな何やってんすか。
藪内お前がビール吹き出すから。
若背広男俺が悪いんすかぁ?
藪内しょうがないなぁ、まったく。
若背広男いいからほら早く。(抱えて行く)
藪内大丈夫だよ、ビールくらい。
若背広男ションベンも出し切って来てください。
藪内貴様、俺を誘拐する気か?
若背広男何言ってンすか、何力入れてンすか。
藪内お漏らしなんぞしとらん。
若背広男分かった分かりました、分かりましたけど、濡れてンだからとにかく着替えなきゃ……

いつのまにか大きな紙袋を提げた中年の女が現れていて−。

紙袋女どうしたんです?
若背広男(気づいて)あ……。
藪内安江さん……!

若背広男と紙袋女、ぎょっとなって見合う。

若背広男 み、三井田の……?
紙袋女三井田安江。で、間違いないんですね?
藪内え……?
紙袋女この間は里子って言いましたよ、あたしのこと。
藪内……ま、まさかそんな、女房と間違うわけないじゃないですか。
紙袋女そうですか。

いつのまにか派手なパジャマを着た男が現れていて、おずおずとボソボソ声で−。

寝巻男あのぅ……
若背広男あ、はい、何でしょう?
寝巻男も少し静かにしてもらえない? 寝れなくて。
紙袋女あなたこんな時間に寝てるの?
寝巻男いつ寝ようとこっちの勝手でしょう? 昼間働いてる人もいれば、夜中に汗水流す人もいる。そうやって世間はなりたってんだよ。
若背広男分かりました、すいません。静かにしますので。
紙袋女新婚さん?
寝巻男あ、分かります?
若背広男そんなことどうでもいいですから、とにかく静かにしますから。
寝巻男じゃ、お願いしますよ。

寝巻男は帰っていく。

紙袋女(藪内の股間に気づいて)……そこ。
藪内あぃ、いやぁ、こいつがちょいとビールをこぼしちゃいましてね。
紙袋女ビールを?(若背広男に)そうなんですか?
若背広男いや……はい。(藪内に)とにかく着替えましょ。


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